歳三とのこと

歳三に惚れ、彼にまみれて、今年(1996年)で丁度20年になる。
私は、『歳三愛す歴』を人と競いたいわけではない。ただ、年月が長ければいいなどと、微塵も思ってはいない。中味のない年月なら、私には無に等しい。
私は文字通り、20年、歳三に溺れ続けてきた。ずっとずっと彼を想い、彼を調べ、彼に浸り続けてきた。
膨大な研究を元に、(まだまだ未完成ではあるが)このサイトを作り、運営していること、(まだまだローンを残してはいるが)彼の眠る箱館に家を買ったこと等もすべて、誰よりも強く、深く、彼に惚れ抜いている私の誇りでもあり、証明でもある。
これが、私の20年間である。

このサイトを開いてからと言うもの、もの凄く多くの新選組・歳三ファンの方からメールをいただくようになった。 よく聞かれるのが、「歳三を好きになったきっかけ」。 ちなみに、メールをくださる方の9割以上は「『燃えよ剣』を読んで、歳三のファンになった」そうで、その中の歳三に「感動した」り「かっこいい」と思ったとのこと。
確かに『燃えよ剣』や『新選組血風録』は名作中の名作。私も大好き。あの歳三はとてもかっこいいとは思う。

けれど、私はそこまで。
私が心底惚れて愛しているのは、小説の歳三ではない。
【本物の歳三】。
だから、『燃えよ剣』の中での歳三について、延々と想いを述べられ、同意を求められても困るのだ。小説の中の歳三は、私にとっては歳三じゃない。

私が初めて歳三を知ったのは、小学校の時に読んだ実録史。その時はまだ、ここまで惚れなかった。中学一年の時に、更に詳しい実録史を読んだ。惚れた。カンペキに惚れた。
『燃えよ剣』を読んだのは、短大に入ってから。つまり、歳三に惚れてから6年は経過していた。初めて、歳三を丁寧に書いてくれている小説に出会った嬉しさはあったけど、それだけ。その時すでに、私の中にはもう、【本物の歳三】がいたから。
【本物の歳三】の方が、『燃えよ剣』の歳三より、私にとってはずっとかっこいいし、素敵だと思った。
だから、私は今でも小説の歳三にはさほど興味はない。勿論、かっこよく書いてあったらそれは嬉しいし、素敵な恋人がいたら嫉妬もしちゃうし、史実と違う風に悪く書かれていたら不愉快な気もする。
でも、所詮小説。その程度。
それによって感動したり、心を揺さぶられる事なんてあり得ない。

私にとっては、【本物の歳三】だけが最愛の人。架空の人物に興味はない。

それから、『狂信的歳三ファン』という問題。
勿論、私は歳三という一個の男子に惚れているし、私の世界は彼を中心にして回っていると言っても過言ではない。誰よりも、何よりも、彼が好きだ。惚れてる。
が。
『それとこれとは違うのよ』ということをわかってもらいたい。
「長州(山口県)の人は、敵よね」「新選組のやったことは全て間違ってないわよね」「土方さんは、何もかも正しいわよね」「土方さんみたいな人と出会えるといいね」
私の機嫌をとっている(?)つもりなのか、こんなことを時々言われる。
冗談ではない。私は「狂信的ファン」ではない。
例えば松下村塾の中にもいい青年達は沢山いるし、土佐の中岡慎太郎なんて、もの凄く好きなのだ。私は。
「歳三の敵は、私の敵」なんて微塵も思ってはいない。歳三の敵でも、好きな人は沢山いる。

倒幕、維新が成って良かったのか悪かったのかは、今でもわからない。が、当時の立場で言えば、彼ら(新選組)のとった行動は、間違っていたとは私は思わない。(この件については『新選組を覗く』の『新選組とは』の項を是非、ご覧下さい)
「暗殺」は新選組がやったことではなく、むしろ土佐や長州、薩摩の志士らがやったことである。それを取り締まった新選組に非があろうはすはない。
だからと言って、「新選組や歳三のやったことは全て正しい」とは私は思ってない。
私が疑問に思うのは、例えば、河合耆三郎の件。真実の程はわからないが、今、知られている限りのことで言えば、歳三のやり方は正しいとは思えない。

歳三に惚れているあまり、彼の行動、彼の考えを全て肯定するようなレベルの低い捉え方は、私はしたくない。するつもりもない。
一人の男性として歳三を愛するのとは別の次元で、私は「幕末」という時代を、「新選組」という組織を、公平な立場で見る目を持ちたいと思っている。