新発見資料・永倉の「報國記事」


久々に新選組新発見資料が出たようです。
以下、平成10年1月7日付け・『読売新聞』朝刊より引用


池田屋襲撃、初の詳述

永倉新八幻の記録発見・叫ぶ近藤勇  沖田奮戦もリアル
 幕末京都の警備組織「新選組」幹部、永倉新八(1839-1915年)の手記として存在が知られながら、行方が分からなくなっていた「浪士文久報國記事」が、奈良市の幕末・明治維新史料収集家によって入手されていたことが、六日分かった。
新選組が勤皇の志士を襲った池田屋事件で、局長(隊長)の近藤勇が叫んだ言葉や修羅場の情景など、その場にいた者にしかわからない事実が細かく記された貴重な資料だ。

 和紙に毛筆で書かれ、1862年(文久二)の浪士組結成から新選組の成立に始まり、鳥羽伏見の戦いに負けて逃れるまでの五年余りを、三分冊計約百七十ページに記録している。
 長州藩士ら二十数人を京都・三条河原町の旅館に襲った64年(元治元)の池田屋事件では、最初に踏み込んだ隊士を近藤勇、沖田総司、藤堂平助、永倉の四人と記述。近藤は大声で「手向イイタスニヲイテハ用捨無(ようしゃなく)切捨ル」と言い放ったとしている。
 戦闘についても、「壱人切テカケル者是アリ、沖田総司是ヲ切ル」「表口ヘ逃ル者永倉追カケ、是ハ袈裟ガケニ一刀デヲサマル」など、淡々とした筆致ながらもリアル。
 また「池田屋の主人を縛らなかったため、せっかく捕らえた志士を主人が逃がしてしまった」との内容など、知られていなかった新事実もある。
 当事者しか知りえない詳細な内容に加え、残っている永倉の筆跡と今回の文書の筆跡が酷似するため、幻の「報國記事」に間違いないと見られる。
 晩年、永倉は「報國記事」に関して、「横浜の人に貸したまま行方不明になった」と話し、存在だけが知られていた。奈良市の収集家、多田敏捷さん(56)が最近、神奈川方面の古物商から入手した。
 幕末・明治維新史の研究で知られる霊山歴史館(京都市東山区)の木村幸比古学芸課長は「新選組史はエピソードばかりが独り歩きして、記録が少ない。ことに、隊士による記録は限られており、貴重だ」と話している。

(コラム囲み記事:)
永倉新八:新選組二番隊副長助勤。本名は長倉。松前藩を脱藩、近藤勇が江戸で開いていた道場の試衛館に出入りし、新選組結成前から近藤、土方歳三らと行動を共にした。沖田総司と並ぶ剣の使い手。晩年は北海道小樽市で過ごした。


・今まで知られていなかったことが、この資料によって、かなりわかってくると思います。
・永倉新八に関しての詳細は、『幹部隊士人名録』をご覧下さい。
・PHPから「新選組戦場日記」として、出版されました。


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