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新選組の組織編成は、半年毎と言っていいほどよく変更されていますが、ここでは、新選組が一番充実していた頃とも言える、慶応元年六月頃の組織図をあげてみました。
┌───────┐ │局長・近藤 勇│ └───┰───┘ ┌─────────┐ ┣━━━━━━┥参謀・伊東甲子太郎│ ┌───┸───┐ └─────────┘ │副長・土方歳三│ └───┰───┘ ┏━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━┓ ┌──┸──┐ ┌────┸────┐ ┌───┸───┐ │ 勘定方 │ │ 副 長 助 勤 │ │諸士調役兼監察│ ├─────┤ ├─────────┤ ├───────┤ │河合耆三郎│ │一番隊・沖田 総司│ │ 山崎 烝 │ │酒井 兵庫│ │二番隊・永倉 新八│ │ 吉村貫一郎 │ │尾関弥四郎│ │三番隊・斎藤 一│ │ 尾形俊太郎 │ │岸島芳太郎│ │四番隊・松原 忠司│ │ 篠原泰之進 │ └─────┘ │五番隊・武田観柳斎│ │ 服部 武雄 │ │六番隊・井上源三郎│ │ 新井 忠雄 │ │七番隊・谷 三十郎│ │ 芦屋 昇 │ │八番隊・藤堂 平助│ └───────┘ │九番隊・三木 三郎│ │十番隊・原田左之助│ └────┰────┘ ┃ ┌──────┸──────┐ │ 伍長(20人) │ └──────┰──────┘ ┃ ┌───────┸───────┐ │ 平隊士(100人以上) │ └───────────────┘組織のトップは局長。その補佐役が副長。参謀は、局長−副長ラインに対する、スタッフ(アシスタントのような補佐)的なものでしょう。
更に士官として、助勤と監察が副長の下に置かれています。助勤は、内務では両長(局長、副長)を補佐し、実戦では小隊長として一隊を指揮します。監察はいわゆる密偵のような情報将校で、主に副長の元で、独自に隊の内外の情報を収集します。
図を見てもわかるように、隊の機能上、助勤、監察という、隊の士官を直接握っているのは副長です。
局長は、隊の総帥、隊の顔として、隊の殆どの雑務から離れて立ちますので、監察の報告を受け、出動を決め、それを助勤に命令、指示して、実際に隊士を動かすのは副長ということになります。
この方法は、命令系統が一本化されているので、決断も行動も早い。勿論、副長は局長に対して責任は負わなければならないけれど、万一、失敗したときの責任は、すべて副長にあります。副長が腹を切れば済むことで、局長の名誉(=隊の名誉)は、傷つくことはないのです。
この副長の位置に、新選組では終始、土方歳三が座っていたのです。どんな職務でも、幹部や役付きを複数にするのが、それまでの江戸時代の幕府・藩の体制でした。隊員300人の内、1/3が幹部、などというやり方をしている組織さえありました。こうなると、あちこちから違う命令が出、末端の隊員はたまったものではありません。更に、幹部の中でも意見が分かれて、何度も軍議を繰り返し、挙げ句の果てにまとまらない、とか、分裂だとかになりかねません。
その点新選組は、ほとんどすべての判断・指揮を副長一人でやっていましたから、何事も非常に迅速で、確実だったわけです。
この副長の役割は、そう誰でも出来るものではありません。知勇兼ね備え、責任感が強く、失敗は許されないだけに、先が読める力も持ち合わせていなければなりません。
これが出来たのが、歳三ということになります。