★藤堂平助宜虎<八番隊隊長>


弘化元年(1844)〜慶応3年(1867)11月18日/23才
武蔵国江戸(東京都)出身
北辰一刀流

伊勢・津藩主藤堂和泉守の落胤という噂のある、美男。
血気さかんな若者で、池田屋の時は額を割られる大怪我をしたが命は取り留めた。
新選組創設以来の幹部だったが、後、伊東らとともに勇らと分離。兄とも慕っていた同じ流派の山南の切腹が分離に走った大きな要因と言われている。
油小路の戦い(新選組と伊東一派との争い)の時、勇が『藤堂は助けてやりたい』と言ったのを永倉が聞いていた。戦いのさなか、永倉はそっと道をあけて藤堂を逃がそうとしたが、事情を知らない新入隊士(三浦常次郎と言われている)が、藤堂に斬りつけてしまったという。

◆平助あれこれ◆