同時代人の見た歳三
歳三さま自慢
幕末には、本物の歳三に逢ったり、しゃべったり、見たり、触ったり(?)したという、またとない幸福者がいる。
その幸福者が書き残した、真実の歳三の様子を網羅してやる(笑)
- ★八木為三郎(京都で新選組が宿舎とした家が八木家。為三郎は、当時子供だった)
- 「土方は役者のような男だとよく父が云いました。真黒い髪でこれがふさふさとしていて、目がぱっちりして、引き締まった顔でした。むっつりしていて、あまり物を云いません。近藤とは一つ違いだとの事ですが、三つ四つは若く見えました。 『薬屋のむすこだというが、ちっともそんなところが見えないなァ』と私も思っていました。後で聞いたのですが、江戸にいるときに薬の行商をしていたと云いますから、その自分は薬屋の倅だと思われていたのでしょう」
- ★渋沢栄一
- (実業家のあの渋沢栄一です。当時渋沢が、大沢という人物を捕縛しにいくときに、歳三が同行してやったことがあります)
- 「近藤の次に居た土方歳三というのが、なかなか相当の人物で・・・・」
- ★福地桜痴(明治のジャーナリスト。福地源一郎)
- 「近藤とは兄弟分のような土方の方は、一寸商人風なところがあり、おまけに色も白ければ、なで肩の少し猫背がかってはいたが、身長もすらりとした、あの仲間内では男っぷりもよい方である上に、人との応対にも抜け目なく、かつ如才なかった男だけに、少しく気障なところがないでもなく、人によっては毛嫌いする者もかなりあったようで、現に余のごときもその一人で、近藤の道場にときたま遊びに行くことがあって、伊庭八郎や代稽古していた永倉、沖田、藤堂などという連中と話はあっても、土方とはあまり口を利いたことがなかった。
これは、まだ江戸にいたころの話ですが、歳三さんは、江戸にいた頃は、松坂屋に奉公してたこともあって(家伝の薬の行商もしてたし)確かに、この通り、商人風にところもあったみたいですね。愛想もよかったらしい。
みんながわいわい騒いでいると、部屋の隅の柱によりかかって、一人で酒を飲みながら、にやにやと見ていただけだったとか言う話もある(笑)
これが、京都に行って新選組副長になると、がらっと変わってしまう。
滅多に笑わなくなり、軽々しくなくなって、愛想も言わなくなった。仕草にも重厚さが加わって、対座した人物を見るとき、まず相手の膝元から、視線をずずっと上に上げていき、最後に相手の顔を見る。その態度がとても立派だったとか。
京都時代が「仕事用の厳しい顔」だったとしたら、江戸にいた頃や、新選組が崩壊した晩年は、「家庭の顔」だったのかも知れません。そういうけじめを付けて使い分けができる彼が、とても好きです(*^^*)
晩年の「家庭の顔」(箱館時代)の時でも、彼は武士としての本分や誇りは決して忘れていませんでした。
- ★小島鹿之助(多摩の人。歳三の家とは親戚)
- 「風度瀟麗、沈豪能耐於事、寛裕而容物」 (爽やかな人物で、落ち着いていて剛胆。よく事において耐え、寛容である)
- ★小島鹿之助
- 「身丈五尺五寸、眉目秀麗ニシテ、カナリ美男子タリ。多ク書ヲ読ストイエドモ、将帥ノ器(ウツワ)備り、用兵ノ法蓋(ケダ)シ天性ニ出」
- ★稗田利八(最後の新選組隊士)
- 「黒い紋付を着て仙台平の袴をはいた土方先生が出て来て挨拶しました。 いい男ですから、一万石や二万石の小大名とよりは見えませんでした」
- ★石坂周造
- 「土方歳三或いは藤堂平助などと云う悪者の居る事も存じておりますから」 悪ガキ歳ちゃんの面目躍如でしょうか(爆)
- ★西村兼文(西本願寺寺侍。勤王派だったため、新選組を嫌っている)
- 「近藤勇、土方歳三ノ如キハ、暴悪無頼ノ兇党ニシテ、其行状残忍酷烈ナラザルナシ」
悪いことも、あえて書いてみました。敵方には、よくは思われませんよね、やっぱ(^^;)
でも、この西村さんは歳三の死に際して、歳三のことを「剛強勇壮」であったとも、書き残しています。
- ★松本良順(幕府典医。新選組隊士の病気の面倒も見た)
- 「歳三は、鋭敏沈勇、百事を為す雷の如し。近藤に誤なきは、歳三ありたればなり」
- ★千葉弥一郎(元新徴組隊士)
- 「土方は近藤と共に名高いが、此の人は温厚の君子で、近藤のような覇気はなかったが、近藤と非常の仲良しで、近藤を兄として敬っていた。
近藤も、土方が無かったら、或いは勤王党の人々に不意の襲撃を受けてもっと早く京都で殺されていたかも知れぬが、土方が好く細心の注意を払って、近藤に余りな無謀のことをさせなかったから、近藤の命もあれだけ続いたのだろうと思う。
紀州の三浦(久太郎)なども、土方の人物には少なからず敬服して、もし土方が居なかったら、近藤は部下を御する才が欠けているから、新選組はもっと早く分裂したろうが、土方が、近藤と隊員との間の連鎖となって、よく隊員等を慰撫していたのだ。ということであるが、私もそうだと思う。
私なども、土方と対座しても決していやな感じがせず、まことに親しみのある人物だという感じがした。」
- ★依田学海(佐倉藩士。鳥羽伏見の後、江戸城で歳三と会見)
- 「人品沈着温厚。眼光射人。其言質実。絶不事誇張。蓋君子人也」
(人品沈着にして、温厚。眼光人を射る。その言、質実にして絶えて誇張することあらず。けだし君子の人なり)
- ★勝海舟
- 「共に一奇士也」
共に、というのは近藤、土方のこと。
「奇」という字には、奇人変人の意味もあるけど、特に優れたもの、という意味もあるそうです。さぁ、どっちだったのでしょう?(笑)
- ★望月忠幸(幕臣)
- 「其傲慢、人ヲ易ズルヲ悪(ニク)ム」
これも、好感触ではない、お言葉(^^;)
戊辰戦争で宇都宮で足指を負傷した歳三は、会津城下の清水屋という旅籠で療養していたのですね。で、同じ旅籠に泊まっていた幕臣の望月に「味方しろ」みたいなことを、歳ちゃんが言ったらしい(笑)
そしたら、望月が「やだ」って言ったんだってさ(笑)そしたら歳ちゃんが怒っちゃって、枕を投げつけたんだって(笑)(歩けないもんだから)
その時の歳ちゃんは、戦列から離脱した焦りで、精神状態が普通じゃなかったんでしょうけれど、枕投げるなんて可愛いでしょう?(*^^*)
ま、投げられた望月にしてみれば、腹たったかもしれないけどさ(笑)
- ★安部井磐根(二本松藩士)
- 「色は青い方、躯体もまた大ならず、漆のような髪を長ごう振り乱してある、ざっと言えば、一個の美男子と申すべき相貌に覚えました」
仙台での軍議の為に榎本らと登城した歳三。その席で歳三は、奥羽全軍の総督に推されました。その意志を確認しようと榎本が歳三を席に招いた時、そこに同席したのが、この安部井。歳三初対面の印象です。
- ★立川主税(新選組隊士)
- 「常ニ下万民ヲ憐レミ、軍ニ出ルニ先立テ進シ、故ニ士卒共ニ勇奮フテ進ム」
- ★石井勇次郎(新選組隊士)
- 「砲台(箱館弁天台場)ニ在ル新選組、其長(歳三のこと)死スヲ聞キ、赤子ノ慈母ヲ失フカ如ク悲嘆シテ止マズ。アア、惜シムベキ将也」
歳三は、弁天台場にいる新選組隊士を助けに行く途中、馬上で腹部を銃で撃たれて殺されたのです。
- ★中島登(新選組隊士)
- 「生質英才ニシテ、飽迄(アクマデ)剛直ナリシカ、年ノ長スルに従ヒ、温和ニシテ、人ノ帰スル事、赤子ノ母ヲ慕フカ如シ」
三人とも新選組隊士で、隊士たちに、歳三がどのように映っていたのかがわかります。
綺麗で、強くて、凛々しくて、賢くて、男らしくて、冷静で、必要となれば眉一つ動かさず、人を斬る冷たさを持ち合わせていながら、実は内面では涙を怺えているほど優しくて、でもそんなところを人には見せない男気がある。
私にとっては、神様のような殿御なんです(*^^*)