- 生年不詳〜慶応4年(1868)1月13日/33〜4歳と言われる。(歳三より2〜3才上)
- 摂津国大坂(大阪府)出身(阿波徳島という説もある)
- 大坂の鍼医の倅として生まれたという。武士になりたいばかりに、京に上って浪人のような生活をしていたとも。
そのうち、新選組の隊士募集に応じて入隊。新選組の初期隊士である。- 京坂の地理に通じている山崎は、関東出身者が主の新選組には貴重な存在だったようだ。
- 背は高く色黒。寡黙な男だったようで、探索や、隊内の取り締まりをする監察の役目は適任だった。当然、頭が良くなければ務まらない仕事である。
- 山崎は、文武に優れていたと言われる。実際、隊の幹部が公卿のもとを訪問する時には、必ずと言っていいほど彼が同行している。公卿と政治を論ずるには、彼の学才が必要だった。
武の方は、香取流棒術をよくしたとも、長巻が巧みだったとも言われる。- 慶応4年(1868)の鳥羽伏見の戦いで銃弾を受け、重傷を負う。
大坂八軒屋の京屋忠兵衛方で息を引き取ったとも、江戸へ行く軍艦・富士山丸の中で亡くなり、水葬にされたとも言われる。- 近藤・土方からは絶大な信頼を寄せられ、最後まで隊に忠実な男だった。
◆烝あれこれ◆
- 小説などでは、山崎の池田屋での探索が有名だが、あれは虚構と思われる。もっとも、彼は探索方としては優秀だったので、ああいう創作がなされるのも無理はない。
- 松本良順に、西洋の救急治療法を習い、「我は新選組の医者なり」と、おどけてみせたこともある。
- 『隊士中、山崎烝なる者あり。もと医家の子なり。性温厚にして沈黙よく事に堪ゆるあり。勇の最も愛する者なりし。』(松本良順)
- 試衛館で共に生活していた近藤・土方・沖田・井上らの結束は言うまでもないのだが、京都で入隊した数多い隊士の中で、山崎ほど真面目に、忠実に新選組で働いた人間はいないのではないかと思う。
- 妻がいたとも言う。(個人的には、いて欲しくないぞぅ(泣))
私にとって山崎烝は、歳三の次に惹かれる人物。謎の多い人ではありますけれど、歳三の側で、こつこつと忍耐強く仕事をこなしていた彼はとても魅力のある人です。
只今、「山崎烝(と歳三)を愛する会」を発足させようと企画しております。興味のある方はE-mailでお問い合わせください。