★斎藤一<三番隊隊長>


天保15年(1844)1月1日(2日とも)〜大正4年(1915)9月28日/71才
武蔵国江戸(東京都)出身
一刀流
本名:山口一。別名:山口二郎、一戸伝八、藤田五郎

幕臣の家に生まれた。父・祐助、兄・広明、姉・お勝。姉は水戸藩の医師に嫁いでいる。
明石出身と言われているが、これは父が明石藩の足軽出身であったのを、自分になぞらえて言っているものと思われる。一の父は、家督を妹に譲って江戸に出、中間奉公をして歩き、小金をためてご家人株を買った。
安政5年(1858)元服。この頃より、会津藩江戸屋敷にある道場で一刀流(会津なので、一刀流諸派の中でも、溝口一刀流と思われる)を学んだと言われる。
父が中間奉公時代に会津藩と懇意になったのがきっかけらしい。
19才の時に誤って人を斬り殺してしまい、江戸にいられなくなっり京都へ逃げたとも言う。京都では太子流の剣客・吉田(おそらく、聖徳太子流の吉田勝見のことと思われる)の道場に身を寄せ、師範代をしていたが、翌文久3年、浪士隊で上洛してきた旧知の近藤と接触、新選組に入る。
結成当初から重要な役についたり、伊東についてスパイをしたり、敵のためにも働いた形跡があるなど、謎の多い人物でもある。
新選組崩壊後は、会津に留まったことなどから、会津に関係の深い人物ではという説がある(少年時代から関わりは確かにある)。維新後は警視庁に勤め、会津人藤田五郎として一生を終えた。

◆はじめさんあれこれ◆