- 文政10年(1827)(?)〜文久3年(1863)9月18日/34〜5才?
- 常陸国水戸芹沢村(茨城県)出身
- 神道無念流
- 木村継次
- 芹沢城城主の裔と言われる芹沢貞幹の三男として生まれる。幼名は龍寿。
- 浪士隊として江戸から京へ行き、新選組を結成するまでの彼については、はっきりしていない。
水戸の浪士で、天狗党の一員とも言われているが、水戸藩側には、彼の記録はない。
が、芹沢家の家系図(鴨の兄の子孫の血筋は続いている)をみると、その先祖は桓武天皇にまで遡れる。
- 従って、鴨のエピソードは新選組時代の約半年間に集約される。
- 普段はいつも酒を飲んでいて、酒乱だった。酒が入っていると(いつも酒が入っていたが(笑))凶暴になったらしい。
一説によると彼は、梅毒にかかっていて、その恐怖から酒が放せなかったのだとも、梅毒のせいで脳を冒されていたのかも、とも言う。- 色が白くて背が高く、巨漢巨体だったらしい。
- 紋は、丸に開いた扇紋で人並み以上に大きかった。
- 酔って帰って女と同衾しているところを、殺された。
あまりの乱暴に腹を据えかねた会津藩からの指示で、歳三らが殺ったと言う。
◆鴨あれこれ◆
- 墓は壬生寺にある。現在のは建て替えられた二度目の墓碑。
- 八木家の幼女が亡くなったとき、鴨は勇と二人で受付を手伝っている。
暇なときは二人で、絵などいたずら描きをしていた。
このようなエピソードを見ても、酒の入っていないときの鴨は、何となく愛すべき人のように私は思えるのだ。