- 天保6年(1835)〜慶応3年(1867)11月18日/32歳
- 常陸国志筑(茨城県新治郡)出身
- 北辰一刀流
- 本名は鈴木大蔵。神道無念流の剣術と尊皇攘夷思想の水戸学を学ぶ。
のち江戸に出て、深川佐賀町に北辰一刀流の道場を開く伊東誠一郎に入門するが、師の伊東が病死したため、遺言によってその一人娘うめの婿となり、道場の跡目を継ぐ。
- やがて、面識のあった藤堂の紹介で新選組に入隊。
◆甲子太郎あれこれ◆
- 伊東が京都にいるときに、江戸に残っていた妻のうめから手紙が来た。
内容は、「常陸の母上が大病との知らせがあった」というもの。
驚いた伊東は、飛ぶように江戸に帰ったが、実はそれは、独り身の寂しさのあまり、うめが嘘を書いたものだと知って、伊東は激怒した。
「いやしくも偽ると言うことはよくないことだ。汝ごときは自己のみを知って、国家の重きを知らぬものだ」と、そのまま離縁状を渡し、さっさと京に立ち帰ったという。